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生きてるけど、落ちてます。
適当にピックアップして買った2冊の小説が、
両方とも、カコキュウや精神病のシーンがあり、マイッタ。
1冊はほんと途中だけどどっかに投げ捨てます。描写が…私にはキツイ。
フツウの話なのだけどね。私にはムリだと思った。内容が。
頭がおかしくなりそうだった。
山本文緒はたぶんもう買わない。
夜中の4時に泣きそうになった。そんな時間にヨシヨシって慰めてくれる人は居ない。

日常を、良くも悪くも表現するつもりはない。
今日の本を読んでの衝撃はとっても大きくて、今日は1日外出をしてない。
寝たのが遅いのもあって、ほとんどを寝て過ごした。
キツいとか暗いこととか落ち込んでることとかを日記としてココに書いても
別にそんなの好き好んで読みたい人って居ないだろうし
だけども、毎日起こりえた明るいやらうれしいことだけを選んで書いて
「少し元気になったっぽいね」と不意に言われるのも結構ツライ。
楽しい外出ができたよ、と報告するとする。
結果的には楽しかったと思えて、めでたいのだけど、
外出する前にあたしはドキドキしながら大丈夫大丈夫と唱えながら不安と戦ってる時間があったりもするのだ。
「だいぶ元気になったみたいだね」
と言われたとしても、
「まだまだ、元気じゃないよ。」
と、言いたくなる。
良かったことを共に喜んで貰えるのは嬉しいことだけれど、頑張っていることやつらいことも、理解してもらいたくなってしまう。
卑屈かなー。
不健康だな。
フクザツだな。難しいな、わたし。
やだやだ。
さて、明日は何しようかな。

Comments

わたしがこころから尊敬するひとがこういうことを
いっています。
見えないものとか 聞こえない声だとか
あえて言ってないこととか
うまくいえないままのこととか
そういうことのほうが
ずっとおおいのだということを
僕たちはわすれそうになる
意識して生きたいことばだとおもっています。
金峰山からみる景色は格別でした

Posted by: せみしぐれ | 2009年09月15日 01:37

せみしぐれさん>
どんな方なのだろう。
尊敬する方も、せみしぐれさんも。
「僕たちはわすれそうになる」というより
たいてい忘れています。
日々、忙しさに追われて、人には見失いがちなものって多いですよね。
金峰山からみる景色。
花岡山から景色を見慣れてると、遠視のあたしが行くとモヤモヤしてよく見えません 笑

Posted by: aya | 2009年09月16日 00:51

私も似たことを考えたことがあるな。
元気になれたことを、
なかば自分に言い聞かせるように書いて、
それは私は元気になったという意味なんだろうか?

おもてに出すものは、所詮おもて。
どう出てくるかも分からないし、
どう受けとられるかも分からないし
ただの表現方法のひとつに過ぎない。
そこから真実なんて、何も見えない。
つぶやいた、
吐いた、
そこに人の目が触れた
ただそれだけのことだったりね。
でも、そういう不思議な空気のようなツールだから、
webっておもしろい表現方法だと思うんだ。

Posted by: あやーん | 2009年09月16日 18:10

あやーんちゃん>
今度こそ会おうね~って言ってたのに…叶わぬまま帰省してくる羽目になった。
あー会えてないな、会っていればまた違っていたかもしれない…ってこっちへ帰ってきて思ったよ。
あやーんちゃんは私がパニック障害で不安と戦っていた5年程前を知ってくれてるんだっけ?
あたし、立ち直れるよね??
自分の日々の日記は、誰か目を通してくれるということはその人から見にきてくれて成り立つことだから。
愚痴ばかりは書きたくないよね。
人も楽しくなれるような、そんなことだけ書いていられればいいんだろうけどね。そんなに強くない…。

Posted by: aya | 2009年09月16日 19:34

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