二・二八

今日で2月が終わり。冬が終わり。
なんだかドップリ疲れてあっとゆーまに通り過ぎた。
自分用のメモ。
2月28日。
今からちょうど60年前の台湾では「二・二八事件」が起きた。
歴史の教科書に出てくる「二・二六事件」とは違う。
【二・二八事件(台湾大虐殺)】
台湾は1895年~1945年の間、日本の台湾総督府の統治下にあった。
日本が終戦を迎えたのが1945年。
この事件が起きた1947年、台湾の法的地位は未決であり、サンフランシスコ平和条約日華条約もまだ締結されていなかった。
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※サンフランシスコ平和条約
1951年7月20日、米英共同で、日本を含む全50カ国に招請状を発送。9月8日に全権委員によって署名され、翌年1952年4月28日に発効。
日本国内では昭和27年4月28日条約第5号として公布。
「中国」に対しては、代表政権についての米英の意見(中華民国中華人民共和国か)が一致せず、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして、招請は見送られた。
(1952年4月28日、中華民国(台湾)との間に日華平和条約を調印。1952年8月5日発効)。
要旨…
○日本と連合国との戦争状態の終了
○日本国民の主権の回復
○日本は朝鮮の独立を承認。朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄
○日本の台湾・澎湖諸島の権利、権原及び請求権の放棄
○主権を持っていた千島列島・南樺太の権利、権原及び請求権の放棄
○南洋諸島の権利、権原及び請求権の放棄
○南西諸島や小笠原諸島を合衆国の信託統治に置くことの承認
(一部)
●いわゆる外地人の日本国籍喪失
●「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」という通達により、朝鮮人及び台湾人は日本国籍を失うとの解釈が示され、最高裁判所も同旨の解釈を採用した。
台湾人の国籍喪失時期については、本条約ではなく日華平和条約の発効時とするのが最高裁判例。
※日華条約
1952年4月28日に台北で調印され、国民政府の支配下にある台湾を適用範囲として結ばれた。
サンフランシスコ平和条約発効の7時間30分前。
要旨…
○台湾における日本の領土権の放棄
○通商協定や漁業協定の締結に努めること
○将来国民政府の支配下に入る領域をも適用範囲と定めた
(一部)
●中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する。
最高裁判例では、本条約第2条により日本が台湾に対する権利を放棄したことにより、台湾人は本条約の発効日に日本国籍を喪失したとされている。
◆1972年、日本は中華人民共和国との間に日中共同声明で、中華人民共和国政府を中国唯一の合法政府として承認し、日本が中華人民共和国と国交を樹立するとともに、日本国政府は本条約は終了したとの見解を表明し、中華民国政府は対日国交断絶を宣言した。
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事件が発生した1947年当時の台湾人は、法的には日本人だったということ。
1945年8月15日、終戦まもなくマッカーサー指令により蒋介石は陳儀を派遣して台湾を日本から中華民国に「接収」した。
陳儀は直ちに軍事統治を行い、迅速に日本人を本国に送還したが、日本人の残した資産を国有化・私有化した。
終戦と同時に中国大陸では内戦が起こり、陳儀は台湾の物資を大量に大陸へ送ったため、物資が欠乏。
台湾の経済はたちまち疲弊し、金融制度は機能しなくなり、中国の貨幣価値は暴落して巨大インフレがおこりった。
台湾に来た国民党政府の官僚や軍人らが腐敗していたこと、また物価高騰、失業の深刻化、治安の悪化などにより、台湾の人々(本省人)の期待は失望へと変わり、国民党政権に対し、極度の不満を募らせていった。
1947年2月27日、台北市でヤミタバコ(国民党によって接取)を販売していた老婆を国民党政府官憲が発見。老婆(林江邁)が土下座し、許しを懇願したにもかかわらず、公道でその老婆を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収するという惨事が起こった。
これを見て憤怒が集まり民衆が反撃。
取締官が慌て驚き震えて、逃走しながら拳銃を発砲し、これが傍観者(陳文渓)に当たって即死した。
かねてから不満があった市民の怒りが爆発。翌28日以降暴動が起き、武器を持つ警察や軍隊に対抗するため台湾人民軍が結成され、本省人は、戦後台湾に移住して強権を恣にする外省人と、外省人によって成り立っていた国民党政府に対しての抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動が2月28日(二・二八)から台湾全土に広がった。
陳儀は反乱民衆に対話を装いながら一方、南京の蒋介石に援軍を要請。
翌月、第21師団の援軍が大陸から到着してからは貧弱な台湾軍がたちまち制圧され、国民党政府(中国)による大粛清・大虐殺が始まった。約三週間で制圧されたが、粛清、無差別逮捕と虐殺は数ヶ月も続いた。
若者や社会のリーダー、裁判官・医師・役人をはじめ日本統治下で高等教育を受けた知識人や金持ちなどのエリート層の多数が無差別にトラックに載せて連れ去られ、逮捕・投獄・拷問され、その多くは自宅に帰ることはなかった。
当時の人口は6百万人と言われるが、2%に当たる12万人のエリートが抹殺されたということ。
知識階級の大半を失った台湾人は中国人を恐れ、従順になり、こうして台湾人民は奴隷化された。
中国人は謝罪していない、彼らは台湾人を同胞と思っていない。
台湾人意識、アイデンティティの喪失。
祖国に回帰したつもりが虐殺にあい、台湾人もまた中国人とは違う、同胞ではないことがわかった。
恐怖心を植えつけられた台湾人は「私は台湾人だが、同時に中国人でもある」といった矛盾した発言をする人が多い。
民主化がはじまった1987年の後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていたが、1988年に李登輝が本省人として初の総統に就任して1992年に刑法を改正して、言論の自由が認められてから、本格的な民主化時代が実現。
二・二八事件 – wikipedia -
「台湾の声」http://taj.taiwan.ne.jp/koe/
0228.gifCND Photo Series: Massacre
※グロはほんとに苦手。
だけどこの写真はすんごい印象的だった。
“All the work in CND InfoBase was done by volunteers. You are welcome to distribute the pictures freely. Commercial use of the pictures is prohibited.”とあるので載せちゃう。

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